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部署だより
福岡海上保安部

「小安協に思う」
福岡海上保安部警備救難課
専門官 久良知 法昭

私が「小安協」という名をしったのは陸上勤務を始めた昭和59年の厳原海上保安部の時でした。
「プレジャーボートの組織化」ということで、当時の救難係長について地域の関係者を訪問したことを覚えています。その後、某海上保安部港務係長の時、海上安全指導員の安全講習会で指導員の方から、海上保安官から検査(立入り検査)の時に「指導員がなんか!法定書類を見せれ!」と言われたとの話を聞き、当時は港務担当で小安協や指導員のナンタルカを詳しくは知りもせず「新米保安官だったのでしょう、良く指導しておきます。」と知ったかぶりをして言い訳したことを思い出します。
平成3年4月から七管本部航行安全課勤務となり、折しも「社団法人九州北部小型船安全協会」が誕生(3月30日設立)したばかり、設立総会の準備で大変でしたが、産みの苦しみを知らずに海務第一係長を拝命しておりました。
当時の航行安全課には、梅田課長、山本専門官、小妥協には曾田専務理事、小串事務局長が小安協の社団法人化のため必死で東奔西走した戦士がおられましたので、3年間大変貴重な経験をさせていただきました。その後、門司海上保安部航行交全課、そして現在の福岡海上保安部警備救難課でそれぞれの地区小妥協を担当しておりますが、本部にいた時には気付きもしませんでしたが、正に「聞くと見るとでは大違い」で、会員を約1,000名も抱える大小安協ともなると、役員さんや事務局の苦労は並ではありません。
しかも、殆どの方が自分の仕事を別に持っていて、所謂「ボランティア」で活動しておられます。
特に、事務局は会員の方々への連絡事項、安全講習会の開催準備等におわれています。
会社経営そっちのけで、会社を手放した方もおられます。このように、一生懸命頑張っておられる皆様に支えられた状況の中で、渡戸内救難係長、隅倉救難係員とともに、福岡地区小安協の担当をさせていただいております。
波戸内救難係長の前任の土井良港務係長も、こと小安協については非常に積極的に協力してくれております(この両者は非常に動きが良いので事務局の方は利用して下さい)。この良き同僚と共に福岡地区小安協の発展、組織の拡充に少しでも寄与できればと思っております。

 

小安協だより
洞海地区

「天然の良港 洞海湾」
洞海地区小型船安全協会
会長 曾田正英

(1)雪国から海洋へ、そして洞海湾
故郷新潟は、白銀・緑・花・紅葉と自然に恵まれている。
その故郷を後にして船乗りになって海洋を飛び迎っているうちに九州若松支店港内航勤務の命を受けて以来である。天然の良港や白州灯台については、小学校で習っている。その天然の良港のひとつである洞海湾で四十年余を過ごし、しかも目の前に白州灯台が見えるなんて、誠に人生は不思議な事が多い。洞海湾は乗船中、数回入港した事はあっても、定着職場となると問題は別で、港内の彩しい廃油はさざ波程度でもデッキに飛び散り、それはガソリンで拭き取る他は方法がなかった。特に空気中の煤煙に混じっているフン塵は容赦なく目に入り、父親譲りの大きい目は澄んでいて、唯一だれからも誉められていたが、その目が仇となり毎日のように眼科通院の有様であった。
(2)変わり行く天然の良港
商工業繁栄に重要な大量輸送は船であり港である。しかも自然の港湾が最良と小学校で習った。
しかし産業界の大量生産で船舶もその体制に合せ巨大化し、近年では数十万屯の巨大船舶が海洋を航行しており、従って築港技術も水深の深い海洋に向かって進歩している。
かつては膨大な数の船舶をこの洞海湾が呑み込み、吐き出し続け、入港出来ない船舶は大連と部崎の待機バースに多量に待機させていた。今では若松と八幡港内の係留ブイもすべて撤去されてしまった。天然の良港として栄え賑った港湾の様は、そこで働いていた多くの人達の記憶からも遠ざかりつつある。
(3)洞海湾ドマン中から
筑豊炭田と豊かな水利を生かし、世界屈指の新日本製鐵?を始め、三菱化学(株)、旭ガラス(株)、日本水産(株)、その他数え切れない程の工場が洞海湾を取り囲み、町は工場に添うように、北に若松、東に戸畑、南に八幡と広がっている。
(4)軍艦防波堤(※略図・写真参照)
一文字防波堤の洋側は現在広大な埋立地になっているが、昭和二十二年に響灘の荒波から洞海湾を守るため、三隻の軍艦を沈め、防波堤の礎となした。

(5)魚が戻って来るためのドラマ
死海とまで言われた洞海湾において、湾内のクリーン作戦が関係者の熱意と努力で功を奏するや、新日本製鐵所の岸壁の巨大な木製防舷材がことごとく舟虫に食い荒らされた。白蟻に食われた柱のごとく枠だけが残り中は伽藍洞となる。
夥しい舟虫が飛び交う様はボートからよく見える。数日後ドックに入れて驚いた。水面下の外板が舟虫に食い荒らされていた。かなりの外板を取り替え、その上から合成樹脂を三層に張り、その後の難を逃がれている。
こんな光景は当時の造船所でよく見かけた。この舟虫を食べに今度は小海老が岸壁を埋めつくした。木の小枝を逆に吊して置くと、びっしり付いて上がってくる。この小海老を食べに漸くすると待望の魚が戻って来た。
船の修理には多額の費用がかかったものの、魚の戻ってくるためのドラマを見て感動してしまった。
空気も綺麗になり、目にゴミが入らなくなったものの、澄んだ目に戻らないのは年のせいのようである。

 

 

 

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